日本の電車の歴史 動力

動力

日本の鉄道は、黎明期には電車よりも蒸気機関を動力として使っていました。燃料は石炭が使われ、機関士が付き切りで炉を管理する必要がありました。蒸気機関車には様々な弱点がありますが、特に問題なのは急勾配に弱いことです。さらに、急加速も苦手としているため、駅間が短いと十分な機能を発揮することができませんでした。

明治時代には電気も身近になっていたため、一部の区間では電化されて、電車が走行するようになります。ところが実際には、多くの区間では蒸気機関車に頼ることが多く、設備の更新が追いつかない状況でした。トンネルが多い区間では、電車や電気機関車が使われるようになり、少しずつ状況が改善されています。

電車を走らせるためには、変電所を欠かすことができません。初期の段階ではレンガ構造で作られており、現存するものは歴史的な価値が高いために、丸山変電所のように重要文化財に指定される例があります。

戦後になると、動力の転換は喫緊の課題となりました。国鉄では無煙化を目標に掲げて、昭和40年代までには蒸気機関車を気動車に入れ替えています。東京では1996年には八高線の一部区間が電化されたことで、都内で見られる鉄道車両は電車だけになりました。

日本の電車の歴史 発達

発達

世界の諸都市と同じように、開国後の日本は電車の技術を発達させながら、近代化を推し進めてきた歴史があります。東京や大阪などの都市部を中心にして、明治から大正時代にかけての黎明期から電車運転が開始されています。各地では鉄やコンクリートを基礎にする鉄道橋が作られますが、犬山橋や二子橋のように、自動車と電車を一緒に通すために作られた橋も少なくありませんでした。

首都圏の一帯では、京成電鉄などの私鉄が開業したことで、都市部から郊外にかけての地域でも電車が身近な存在になります。東武伊勢崎線は1899年に開業しており、東京の下町から北関東にかけての大動脈となり、当時の基幹産業だった蚕糸業の発展にも貢献しました。

横須賀線は東京近郊にある路線ですが、起伏のある地形のためにトンネルが多く、蒸気機関車の運転には不向きでした。そのため、碓氷線の区間と同じように電気機関車の導入が早く、昭和初期には電車の運転が開始しています。

大阪には私鉄では唯一となる3複線の区間があり、壮観な景色が現在でも広がっています。この地域でも電化が早く、阪急電鉄の前身は明治末期から電気軌道で運転を開始し、関西地域の鉄道を発達させるために重要な役割を担っていました。

構造

日本の電車の歴史 地下鉄

地下鉄

電車の歴史の中でも、地下鉄というのはごく最近、戦後の高度経済成長時期あたりに東京や大阪のような大都市ができ、地上に電車を走らせるのが地価や騒音などの環境問題もあって難しくなってきたから作られるようになったと思っている人が多いのではないでしょうか。

これはその一部、理由の面ではある程度正しいのですが、時期の面では残念ながら正しくありません。世界初の地下鉄ができたのは1863年のロンドンです。戦後はおろか、20世紀でさえありません。日本ではまだなんと江戸時代です。ただし先ほども言ったように、それができた理由としては建物や道路の密集したロンドン中心部にこれ以上レールを敷くのが困難であったためであることに間違いはありません。

その後、世界に広がっていくのですが、日本で最初の地下鉄ができたのはもちろん東京です。開通は1927年のことで、現在の東京メトロ銀座線である浅草と上野の間に誕生したのが最初です。銀座線に乗ったことがある人であれば、他の路線に比べて車両のサイズ、トンネルのサイズが小さい、あるいは駅構内の設備が古めかしいと思ったことがある人もいるでしょう。これはある意味当然で、今から90年も前に作られた設備を使っているためです。

路線

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